ナガツです。

今日は、2017年の青春映画「レディ・バード」のレビューをしていきますね。

青春映画として高く評価された本作ですが、どういう作品だったのでしょうか?解説していきたいと思います。

「レディ・バード」出演者とあらすじ

「レディ・バード」は2017年グレタ・ガーウィグ監督によって制作された映画です。

「レディ・バード」の出演者

  • クリスティン・”レディ・バード”・マクファーソン – シアーシャ・ローナン
  • マリオン・マクファーソン(クリスティンの母) – ローリー・メトカーフ
  • ラリー・マクファーソン(クリスティンの父) – トレイシー・レッツ
  • ダニー・オニール – ルーカス・ヘッジズ
  • カイル・シャイブル – ティモシー・シャラメ

「レディ・バード」のあらすじ【ネタバレなし】

シアーシャ・ローナン演じるカトリック系の高校生のクリスティンは、自分の名前や貧乏な家、サエない街に対してコンプレックスを感じ、自らを「レディ・バード」と呼ぶように周りに強いている。

母は我の強い性格で、彼女に対して愛情は十分に持ち合わせているが支配的である。

レディ・バードは高校卒業後は故郷から離れた大学に進学し、彼女と離れたいと願っていた。

そんなレディ・バードはある日、でぶっちょの親友ジュリーと共にミュージカルのオーディションを受けると、その主演に抜擢されたダニーに惹かれてゆく。

ミュージカルの稽古を積むにしたがって二人は親密になる。

ダニーは敬虔なカトリック信者であり、一方の自分は貧しい区域に暮らすサエない女子高生。

おまけにダニーの祖父母が暮らすのは、レディ・バードが憧れていた家だった。

いずれ、ダニーと結ばれる将来を夢みていたレディ・バードだったが、あるパーティーでダニーが男性とキスをしている所を目撃してしまう。

レディ・バードの人生は上手くはいかない・・・

「レディ・バード」の感想

誰にでもうまくいかない青春時代はあったはずで、今では思い出したくないような出来事もいっぱいあるはず。

特に女の子の過ごしてきた高校時代は、すごく複雑かもしれない。

この映画は、そんな「うまくいかない青春時代」を過ごしてきた人たち(つまり、ほとんど全員)におすすめしたい映画である。

「レディ・バード」のうまくいかない青春は解決されるのか?

多くの人が「高校時代」の事は鮮明に覚えていると思うのだが、その割に当時の自分が今の自分と明確に違う人格を持っていることに困惑したことはないだろうか。

私はその一人で、高校っていうのは自我が完璧に芽生えているからこそ、「若気の至り」が今となっては羞恥の対象になったりする。

小学生や中学生の時は「まだまだ子供だし」という事であまり思い返したりもしないのだが、「高校」はもう少しこっちよりだったりするので、「なんであんなことしちゃったのかな」っていう切なく恥ずかしい青春を思い起こさせる。

特に私の高校時代はかなり変人だったので、思い返すとむなしい気持ちになるし、当時の友人と比べても特に恥ずかしい気もする(もちろん、笑い話ではあるが)。

この「レディ・バード」という映画も、やること全部うまくいかない高校生が主人公である。

とにかくこの「レディ・バード」という女の子は、自分に自信がなく、自分を取り巻くすべて状況を憎んているように見える。

母との関係もいいとは言えない。

彼女の家庭は決して裕福とは言えず、劇中で父が失業してからはますます豊かとはかけ離れていく。

子供から大人へ変貌する時代の「レディ・バード」

レディ・バードくらいの年頃の女の子はたいてい、自分の環境の悪さを誰かのせいにしたがる事がある。

どうして他の子と違って裕福ではないのか、とか、母からの束縛が苦しい、とか、そもそもサクラメントの町が嫌い、とか。

特に敬虔なカトリックでもないのに、カトリック系の高校に通っていることも、どこかで自分の居場所のなさに苦心している

気が強くて明るいレディ・バードはその環境にただ負けているわけではない。

母とは元気にやりあうし(翌日には大体仲直りしている)、積極的にクラブ活動に参加したり、男の子と付き合ったりする。

ただし、親友以外の友人には、自分は金持ちだ、と思われるように努力をしたり、時には嘘をつく

前向きに過ごしてはいるけど、本当は今の自分をどうにかしたくて常にイライラしている。

それがレディ・バードである。

レディ・バードと母との関係

高校生くらいの子供が持つ大きな悩みの一つが、親との確執にあるように思う。

私自身はこの点、それほど大きく悩むことはなかった気がする(とはいえ、結構イライラする時期もある高校時代だったので、喧嘩はしていたけど)。

「レディ・バード」でも映画の大きなテーマが母と子の話だった。

この母というのがかなり癖のある女性で、娘を支配して思い通りにしようとするし、ことあるごとにお金がないアピールや嫌味を投げかけてきたり、正直かなりうざい。

2人の関係があまりよくないので、レディ・バードは「母から嫌われている」と思っている。

ところが、映画を観ている側からすると、確かに問題の多い母ではあるが、レディ・バードの事をすごく真剣に考えて愛していることが分かる。

特に、どうしようもなく傷つけ合うような口論をした後でも、翌日には何事もなかったかのように接する母の姿には心打たれた。

そんな母がそれでもどうしても娘を許せなくなったのが、無断で東海岸の大学を受験していたこと。

裏切りを感じた母の深い悲しみを感じるも、ただ意地になっているだけで娘の事を愛していることはよくわかる。

「母」も一人の人間なのだ。完璧な人間などいない。

「レディ・バード」に描かれる母は、偏っていて問題が多いように思えるが、実はかなり一般的なのではないか。

もちろん、レディ・バード自身も量産型の女子高生なのだが、だからこそこの二人の関係生にはリアリティがあり、誰の胸にも語り掛けてくるものがあるように感じる。

ただし、子供は親の事を「一人の人間」だと認識するのに非常に時間がかかるし、同じように親も子供が「一人の人間」だと認識することは難しい。

場合によっては、一生それを認識できずに終わる場合も多い。

「レディ・バード」の印象的なセリフ

「レディ・バード」の中で印象的なセリフをピックアップしたいと思う。

レディ・バードのプロムのドレスを母と選んでいるときの事だ。

彼女が試着したドレスに対していちゃもんを付けた母に対して、レディ・バードがこう投げかける。

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レディ・バード「どうして『素敵よ』って言えないの?」

母「私のいう事など気にしないかと」

レディ・バード「そりゃ私だって『素敵だ』って言われたいよ」

母「悪かったわね。嘘つけば良かったってことね」

レディ・バード「違う…私はただ…お母さんに好かれたいと思った」

母「もちろん、あなたを愛しているわよ」

レディ・バード「でも、私の事『好き』?」

母「…私はあなたにね、最高な状態になってほしいのよ」

レディ・バード「今の私がベストな状態だとしたら?」

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母は子供の事を「愛している」けど、「好き」なのかという言葉には答えられなかった。

この事実は、多くの親子にも当てはまるように思う。

多くの場合、親は子を愛しているし、子は親を愛する。

ただし、「人間的には、好きじゃない」という事も必ずあるはずだ。

レディ・バードはそのことに気付いていて、「愛されているのは分かるけど、好かれたい」と思っている。

子供は時に大人よりもはるかに洞察力があるのかもしれない。

敬虔なカトリック信者であるダニーの苦しみ

この映画の中で、あまり多くは語られていないがおそらく最も苦しい青春を送っているのはおそらくダニーだろう。

この件に関して、日本人にはあまり馴染みがないかもしれないから少し解説したいと思う。

レディ・バードたちが通うのはクリスチャン系の高校だが、生徒たちの中でもダニーは敬虔なカトリックである。

ダニーの両親や親せきも敬虔な信者だが、このことはダニーを大きく苦しめる要因になっている。

カトリックにおいて同性愛はタブーだからだ。

カトリックと同性愛については、Wikipediaの解説を引用したいと思う。

ローマ・カトリック教会において、同性愛行為は自然法に反する罪深い (sinful) ものとされる。

Wikipedia「同性愛とカトリック」より引用

私はカトリックの世界に詳しいわけではないが、信者の家庭に同性愛者がいる場合の悲劇について何度も耳にしてきた。

私の知る限り、多くの場合で親子の確執は拭いされるものではなかったし、勘当されるなどの話も聞いた。

宗教を信じていない私や多くの日本人にとっては馴染みのない話かもしれないが、この事実によって多くの子供たちが苦しみ続けていることは間違いない。

ある人々にとって宗教は「自分が生きる」という事と同等である。特に敬虔なカトリック信者はそうだろう。

小さな頃から神を信じてきた子供にとって、「罪深き人間」とされることほど恐ろしいことはない。

大人になればもう少し別の考え方も生まれるだろうが、ティーンエイジャーにとってその事実はあまりにも残酷だと思う。

「レディ・バード」に登場するダニーが、同性愛者であることを隠そうとするためにレディ・バードと付き合ったり、ゲイであることがばれても、レディ・バードに対しての贖罪の気持ちよりも知られてしまった事実の方に気がいっているのはそういう理由だ。

その必死さが分かるので、状況としてはレディ・バードの方が傷つく立場でありながら、彼の事を抱きしめて励ます。

これまで誰にも心を打ち明けてこなかったダニーにとって、これは大きな救済だったに違いない。

「レディ・バード」が描く、「愛とは一体何か?」の答え

映画「レディ・バード」は、他の多くの子どもたちと同じように、「愛を求めている」子供の物語だ。

この映画を観ると、レディ・バードだけでなく「愛を求める」という事がすなわち「青春」なのかと思う。

親の愛、友情の愛、恋人からの愛。

もしくは「承認」ともいえる。

自我が芽生えたティーンエイジャーが「愛」「承認」を求めてじたばたするのが、「青春」なのかもしれない。

人は大人になると、「愛」や「承認」がある程度幻想であることに気付き、現実の中に落とし込むことができるようになる場合が多い。

人は結婚するし、昔ほど友情に熱くなれなくなる。そうして、青春は終わる。

場合によっては、大人になっても、中年になっても、老人になっても愛や承認を求め続ける場合もある。

そういう場合は、一生死ぬまで青春が終わらない例だろう。

それはそれで素敵なことだと思う。

「レディ・バード」の描く青春の汎用性

狭い世界が「全世界」であった高校時代を思い出すと、私自身は「あの頃に戻りたい」という気持ちにはなれない。

先ほども書いた通り、なかなか癖の強い高校時代を過ごしてきた私にとっては、人間関係を培う必要のない現状の方が満足だ。

楽しかった経験も多いが、思い出すとなかなかに痛々しくて、それでも必死だったのが私の高校時代である。

私だけがそんな気まずい高校時代を過ごしてきたのかと思っていたが、この映画を観る限り、普通の事だったのかもしれない。

最後に「レディ・バード」は自分の名前「クリスティン」を取り戻す。

人に「愛される」「承認される」ことは、「自分自身を愛す術を見つける」という事なのかもしれない。

「レディ・バード」のキャストと脚本について

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(C)2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24

というわけで、今回は「レディ・バード」について感想を書いてみました。

私は青春を扱った作品が非常に好きですが、この映画もかなりよくできていたなと思います。

ただ、最終的に母子の愛や、宗教的なテーマによってまとめられた部分に関しては、実は今一つピンと来なかったかな、という部分もありますね。

最後の母子の描写は少々お涙頂戴的だった気がする、というのもあります。

ただし、全体的には良い映画だったので、いろいろな人におすすめしたいと思います。

「レディ・バード」役シアーシャ・ローナン

シアーシャ・ローナンは26歳にして既に4回もオスカーにノミネートされている(本作を含む)実力派女優ですが、実は私が観たのはこの映画が初めてでした。

素晴らしい存在感でしたね。

綺麗な人だと思いますが、それほど目立つ美人じゃなくてすごくいい顔だし、かっこいいよね。

他の作品も見てみようと思いました。

ダニー役ルーカス・ヘッジズ

この映画では目立つ役柄ではないですが、実は私はルーカス・ヘッジズが若手俳優の中でダントツ一番好きなんですよ。

正直、ルーカスが出ているからこの映画観た、みたいなとこある。

今までは暗い、比較的尖った役が多かったんですが、この映画では一見爽やかな青年を演じていて、「今までと雰囲気が違うな~」と思っていました。

正直、あまり面白みのない役だなと。

ところが彼がゲイだった、と分かってからの演技は素晴らしかった。

顔もすごく好き。可愛い。

カイル役ティモシー・シャラメ

「君の名前で僕を呼んで」で大ブレイクしたティモシー・シャラメ。この映画は同じ年に撮影されています。

私自身は「君の名前で僕を呼んで」も特に好きな作品ではなく、ティモシーの事もそれほど好きというわけではありません。

「レディ・バード」のティモシーは特別バカっぽくて笑えたけど。

何となく影があるイケメン役が多いですよね。

まとめ

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以上、映画「レディ・バード」を紹介してきました。

青春映画ではありますが、大人が観てもすごく楽しめるし、きっと思うところがあるんじゃないかと思います。

特に女性におすすめですが、男性でも楽しめるのではないでしょうか。